2019年06月 

『昭和天皇が靖国神社参拝を拒まれた理由』
昭和天皇は1975年を最後に、靖国神社を訪れることはありませんでした。平成天皇も靖国神社へは一度も行かれませんでした。その理由は、靖国神社には東京裁判で戦争に対する罪で有罪裁判を受けたA級戦犯が合祀されたのが原因だといわれています。A級戦犯の合祀は1978年のことです。それ以前は要請があっても筑波藤磨宮司はこれを慎重に抑えてきました。しかし、同年3月に筑波宮司が任期半ばで逝去すると、その後任に就任した松平永芳宮司は、10月に東条英機を含むA級戦犯を「昭和殉教者」として合祀したのです。元宮内庁長官の富田朝彦氏の記録には、昭和天皇がこの事実を知ると「A級戦犯が合祀された上に白鳥俊夫や松岡洋右(ともに外交官で日独伊三国同盟に奔走)も合祀したのか、筑波は慎重に対処してくれたと聞いていたが・・」と嘆かれたと記録されています。戦争で夫や子供を亡くしたご遺族は、靖国神社に陛下が参拝されることを願っていると思います。
『情報を握り潰し、無謀な戦争を強行した東城大臣』
元防衛大臣の石破茂氏は若い議員達に、「昭和16年夏の敗戦」という本を読めと勧めています。この本は、内閣総力戦研究所が陸海軍や民間から選ばれたエリート達に、「日本の兵力、経済力、国際関係」等、あらゆる観点から日米戦を分析させたものです。その結果出された結論は「日本の敗戦」でした。研究会は「開戦初期には勝利が見込めるが、長期戦は必至となる。最終局面で必ずソ連が参戦し日本は敗れる」との結論でした。この分析は、現実の日米戦を正確に分析した報告でした。しかし、この報告を聞いた東条英機陸軍大臣は、「これは机上の演習で、実際の戦争は君たちが考えているようなものではない。この机上演習の結果を諸君は決して口外してはならぬ」と口止めしました。調査メンバーは、口に出せないが日本の敗戦を始めから判っていたのです。自民党の最大派閥を率いた、故、田中角栄総理は、新人議員に「戦争を知っている世代が政治の中枢にいる内は心配ない。平和について議論する必要もない。だが戦争を知らない世代が政治の中枢になった時は危ないぞ」と薫陶をしていたと伝えられています。
『こけても良い、もう一度立ち上がって歩き出そうよ』 社員 秦 智恵美
先日、心を打たれるニュースに出会ったので紹介します。小型ヨットで9,000キロの太平洋横断に挑戦した全盲のセーラー岩本光弘さんが4月20日、福島に到着。目の見える人の協力を得ながら、全盲の人が帆を操り無寄港で太平洋横断を成し遂げたのです。熊本県で生まれた岩本さんは、13歳の頃から徐々に視力を失い高校生で全盲となりました。見えなくなっていく恐怖と日々葛藤し、自殺を図ったこともありましたが、伯父さんが耳元でいった「一度きりの人生、不幸を呪うくらいなら、希望を求めて生きろ」という声に人生を前向きに生きる決心をします。熊本県立盲学校で鍼灸を学んだ後、奨学金を得て単身サンフランシスコ州立大学に留学。筑波大学付属盲学校の講師となり、帰国後出会った米国人女性と結婚し、夫婦でヨットを始めました。2006年、視覚障害者セーリング世界選手権に日本代表として出場しました。2013年にキャスターの辛坊治カさんと太平洋横断に挑戦しましたが鯨と衝突し断念。当時は無謀な冒険だと批判されましたが、それにも負けず「失敗は成功の第一歩だ、失敗しても諦めなければ夢は実現できる」という事を伝えたい思いが、今回実を結びました。なお、プロジェクトの費用は、不特定多数の人が支援するクラウドファンディングで集められたそうです。
ゴールを福島にしたのは、東日本大震災の津波で、家族をさらった憎い海と思っている人々に、再び素晴らしい海というイメージを取りもどしてもらいたい思いからです。チャリティーでハーフマラソンを走り、集まったお金で福島の子供達に二艇のボートを贈りました。「ネバーギブアップ。こけても良い、もう一度立ちあがって歩き出そうよ。」そう話す岩本さんの笑顔はまぶしく輝いていました。
私の父も67歳の時に全盲になり、辛い時期がありましたが、仲間と楽団活動を続け、ハーモニカでみんなに元気を届けていました。落ち込むこともありますが、何があっても前を向いて歩いていこうと強く思ったニュースでした。