2020年12月 

『新型コロナウイルス第三波が』
恐れていたコロナウイルスの第三波が来ました。これまでの経過を見ると、日本は欧州より一月ほど遅れで感染が広がっています。医師会も「医療崩壊」が迫っており、政府に厳しい対応策を求めています。ワクチンも、ファイザー社やモデルナ社などの会社から極めて有力なものが開発されたと発表していますが、そのまま信じて良いのでしょうか。ファイザー社は株価が急騰していますが、会社の幹部が持ち株の三分の二を売却したとの情報もあります。また、ファイザー社のワクチンは、零下70度で輸送しなければならないと云われ、現実的に広範囲に接種する事は困難です。米国で、すぐにでもワクチンを接種したいと希望する人は4割しか居ないとの報道もあり、既に国産ワクチンの接種を広げているロシアでも感染者、死亡者は止まっていません。ワクチンが出来たからと云う理由で株価が大きく上がるのは、完全に詐欺的売買であり、国民の苦しみを金儲けの手段にすることは許されません。尚、コロナウイルスが終息しても元の世界は戻って来ないと云われます。何人かの経済学者が社会の変化を指摘していますが、これは中小企業だけで無く、航空会社や鉄道を始め大企業でも従来の経営では維持できなくなっています。私たちはこれからの経営を真剣に考え新しい時代に備えなくてはなりません。
『私たちが地球に住めなくなる前に』 マーティン・リース
イギリスの物理学者マーティン・リースさんが表題の本を書いています。「現在およそ76億人の世界人口は、2050年までに90億人ほどになる。現代の農業技術では、その数の人口を支える食糧の供給は可能だが、しかし、食糧生産に必要な水とエネルギーには限界がある。大気中の二酸化炭素は、太陽の熱を閉じ込める役割を果しているが、二酸化炭素の排出が今後も増え続けると極端な気候変動がおきる。地球温暖化による平均気温が、危険な『臨界点』を超すと地球は人間が住めなくなる、どう行動するか。これを決めるのは地球に住む我々の倫理的な問題である。コンピューターが囲碁の世界王者に勝ったが、機械がどう判断するかは判らない。システムの判断は人間に委ねられているのだ。今世界は、電力や航空、金融や産業、様々な分野で精巧なネットワークへの依存を進められている。しかし、これらのネットワークは支障を生じた時、すぐに復旧出来ないと壊滅的な事態を招くことになる。私たちは今、史上初めて、世界的に文明を敗北させる崩壊のことを真剣に考える必要に迫られているのだ。」
『心が企業を変える』
京セラの創業者・稲盛和夫氏は、政府から日本航空の再建を要請され、見事にそれを果たしました。稲盛氏は、ある著書で「破綻した日本航空が何故再建できたのか。一体何が変わったのか。賃金は大幅にダウンし、労働条件も悪化した。飛行路線も縮小し、整備工場も古いままです。唯一変わったのは人の心です。倒産から僅か3年で、世界最高の収益を上げる航空会社に生まれ変わったのは、32,000人の従業員の心に「JALは自分達の会社だ」と信じさせたことです。労使が対立していがみ合い、お客様をないがしろにする社風が、日本航空を破綻させたのです。稲盛氏は、企業経営には三つの力が必要だといいます。一つは、社長が誰にも負けない努力をして、背中で従業員を引っ張る。二つは、従業員が社長の理念、夢に共感し、自分の人生を託す。三つは、経営者が心を高め、宇宙を味方にする経営をする。稲盛氏は「中小企業の経営は、坂道を自転車で登るようなものだ。疲れて漕ぐのを休むと自転車は転げ落ちる」と述べておられます。
ハーモニカの音色を胸に社員 秦智恵美
父との別れでぽっかり空いた心の穴は、暑い夏が終わり、金木犀香る季節が過ぎ、朝晩冷え込むようになった今もなかなかふさがりません。入院してから1年3カ月、母は毎日夕方まで付き添っていました。食欲もあり、母との会話を楽しみにしていた父は、コロナウイルスで面会ができなかった3カ月の間に食べることができなくなり、静脈栄養に切り替わりました。1日5分の面会が許可された6月、再会した時は衰弱していましたが、帰り際には必ず「ありがとう、また来てよ。」といってくれていました。7月に愛媛でも再びコロナ感染が発表され面会ができなくなり、8月初め、家族に看取られることなく88年の生涯を閉じました。コロナ禍の今年、父のような最期を迎えた人は少なくないと思います。私が実感したのは、人とつながることがどれだけ人の生きる力になるかということです。サービス精神旺盛で世話好きだった父、視力を失ってからも音楽仲間の力を得て、ハーモニカ演奏で聞いてくれる人に元気を届けていました。朝の連続ドラマ「エール」で流れた、「暁に祈る」や「長崎の鐘」もよく吹いていた曲です。ハーモニカのやさしい音色を胸に、父のように何があっても明るく前を向いて歩いていこうと思います。
今日11月2日は、29年前、事務所の面接を受けてご縁をいただいた日です。ここで出会えた仲間達がいてくれたから乗り越えられたことが沢山ありました。これからも皆で力を合わせ、今やるべきことを一つ一つ積み重ねながら業務に向かいたいと思っています。